「瞑想を始めたばかりの人は、集中や理解のために最適な条件を作り出そうとして、考え事や感情はすべて押さえつけなければ、と考えがちです。
そして、何かの対象物に意識を集中させたり、呼吸を数えるなどして、考え事や感情を遮断しようとします。
対象への集中や数息は優れた方法ですが、思考や感情を押さえつけたり、抑圧したりするために使うべきではありません。
そこに抑圧があったら、たちまち抵抗も生まれることが分かっているからです。
片方を拒絶することは、もう片方も拒絶することなのです。一方を抑圧すれば、他方も抑圧することになります。
私たちの心とは、私たち自身であり、それは抑圧できるものではありません。
心は尊敬と優しさをもって扱わなければいけません。心を扱うのに、絶対に暴力を用いてはいけません。
自我とは何かすら知ることができない私たちになぜ、それが真実か偽りか、押さえつけるべきか否か、あるいは何を抑圧すべきかそうでないかが、分かるのでしょうか。
私たちに唯一できることは、自我を直接、ありのままに見つめられるよう、自我を認識の陽射しで照らし出し、それが自然と目覚めて悟るのに任せることだけなのです。
ちょうど、花や葉が植物本体の一部でしかないように、また波とは、海自体の一部に過ぎないように、知覚や感情、思考とは、自我そのものの一部にしか過ぎません。
花や葉が、植物自体の自然な姿の表れであるように、波もまた海自体の自然な表現です。
それを抑制したり、押しとどめようとしても無駄であり、不可能なのです。
それらが存在するからこそ、私たちには、その根源そのものを発見することができるのです。