2023.1.15

ティク・ナット・ハンから若者への伝言

 

ティク・ナット・ハンが1960年代、それぞれの人生へ旅立つ20代の若者に向けて、革命的な生き方や孤独、深い願望、教育、恋愛について、まっすぐに語りかけた親愛の言葉たち。新しい年のはじまりに、現代のすべての人に読んでほしいメッセージ。

 

ティク・ナット・ハンの最初期の著書 “Nói với tuổi hai mươi”(1960年代出版)より、ブラザー・ファップ・テーと仲間による選録・英訳から日本語訳

 


 

革命・レボリューション

 夢を捨て去ったのは老齢者だけではない。多くの若者もまた、夢を捨ててしまった。君の目に、彼らはまるで“生ける屍”のように映るかもしれない。でも彼らに居場所を与えなさい。彼らもまた私たちと同じく、愛を必要としているのだ。今日私たちがここにいるのは、私たちの社会の状況に気づいたからだ。私たちは幻影の中に生き、幻影の中に死にたくはないのだ。私たちを無意味な幻の人生に引き寄せようとする力に対抗しなくてはならない。そのための秘訣とは、いかに抗うべきか、その方法を知っていることなのだ。抗えば抗うほど、さらなる束縛と苦しみを余儀なくされる反抗の仕方もある。しかし、私たちにほんとうの自由を与える反抗の方法がある。これについて今日君たちに話したいと思うのだ。

 

変化が外からやって来ることを期待してはならない。けれども、もし内部から変化がやってきたなら、君は孤独と怖れに圧倒され、どちらにしようと何もできなくなってしまうだろう。過去に数多くの人々が反逆したが、それは混乱と分断の反逆だった。社会はその人々を罰し、軽蔑し、無視した。それと引き換えに彼らの孤独と憎悪はより増幅しただけだったのだ。 

 

 

 時として私たちは非常に独りぼっちだと感じる。自分の家族の中にいようとも、独りぼっちだ。自分の殻に閉じこもって安心したいと願うが、できはしない。そして群衆の中に自分自身を見失おうとするが、パーティーが終われば、以前よりもっと孤独を感じる。自分自身の孤独に直面する勇気がなく、来る日も来る日も逃げ続ける。自分自身でつくり上げた孤独の海に溺れ続けてはいけない。自分の中の内なる嵐をなだめ、空が晴れるよう、自分のマインドを不動にすることを覚えるのだ。私たちに共通する人間らしさを思い起こせば、きっと君自身の苦しさを乗り越えられるだろう。君は一人ではない。人生は生きるに値する。人生はすばらしいのだ。君の無邪気な両目に映る青空は奇跡だ。君の両目もまた奇跡なのだ。どうか自分の心と体をいつくしみなさい。それらは生命と真実、神聖の顕現なのだ。

 

 

深遠なニーズと浅はかなニーズ

 あまりにも多くの人々が人生を無駄にしていることは、私には悲劇に思える。彼らは充実した人生を生きる方法を知らない。彼らは自分の心に耳を傾けることを知らず、人生でもっとも大切なものを見つけようともしないまま、不必要なものを追いかけ続けている。

 

私たちはあまりにも多くの人工的な必要性を自分自身に対しつくりあげた。私たちの多くがアルコールを飲み、ドラッグを使うことを“必要”としている。それらに次第に中毒していき、自分の人生を支配させている。現実には、私たちにはアルコールもドラッグも一切必要がない。それらは私たちを成長させるものではなく、反対に破壊するものだ。私たちが真に必要とするものは、私たちを勇気づけ、平和と喜び、自由をもたらすものなのだ。

 

仲間が不運な出来事に遭ったと聞けば、じっとはしてられない人々がいる。彼らは雨が降ろうが槍が降ろうが、昼夜問わず、人助けのために出かけていくことをいとわない。彼らもまた必要性から行動している:愛することの必要性だ。彼らの最も高い人間性が表現され、発達していくために、この奥深くからの必要性が彼らを動かしているのだ。

 

君の成功とは、君が自分にとって何が本当に必要で、またそうでないかを見分ける力があるかどうかにかかっている。君が自分自身の心に耳を傾ける時を持ち、自分が成長し、理解し、愛することの深遠な欲求に耳を傾けるならば、それらに花開く機会を与えることができるだろう。君に保証しよう:私は君に“完璧な仏教徒”になどになってほしくはない。若さの喜びをあきらめさせたいのでもない。それよりも君が自由であり、自由に成長し、ほんとうの幸福に触れる姿が見たい。

 

君が自由でいる姿を見たいが、理解を失った自由とは苦悩の根源であることは、どうか心得ておいて欲しい。どんなものを食べても君の自由だが、もし君が自分の体にとってどの食べ物がいいのか分からないなら、遅かれ早かれ苦しむ結果になるだろう。真に幸福になるために、自由には理解が欠かせないのだ。

 

 

心から望むもの

 自分の心からの欲求に耳を傾けることは、もうすでに幸せに触れることだ。君は夢や志望を“つくり出す”必要はない。君の夢とはすでに君の中にあり、目的地とは、すでに道の中にあるのだ。君はその方向を調整するだけでいい。まだ君に時間が残されているうちに、自分の人生の進路をやり直しなさい。自分のエネルギーを使いなさい。

 

時として、君は年長者たちが自分よりも権力を持っているような印象を持つかもしれない。そして彼らがその権力を賢く使わず、社会を助けることに失敗したと君は批判するだろう。けれども彼らの立場に立ってみれば、年長者には年長者なりの困難があると気づくだろう。彼らに多くを期待せず、勇気をくじかれず、希望を失わないことだ。このことは君のエネルギーの多くを節約するだろう。革命政府だけが革命を起こせると考えてはいけない。あるいは君はそれを永遠に待つことになるかもしれないのだ。その代わりに、君自身の知性、君自身の才能、そしてリソースを、君の自由に使えるようにしておきなさい。自分の持っている力でできることをしなさい。革命とは下から上へと起きていくものだ。君が捧げるポジティブなものはすべて、社会へよい影響を与えるのだ。私は若さのはかり知れない可能性を疑いなく信頼しているから、君がより良い世界をつくりだす助けとなることを信じて疑わない。

 

 

教育

 教育について語ろう。なぜ私たちは勉強するのか?試験に通るためだろうか?学位をとるためだろうか?社会で有利な立場を得るためだろうか?それらだけが動機なのだろうか?いや、そうではない。学ぶとは、何よりもまず、学ぶ喜びのためであり、新しい地平をひらく喜びのためのものだ。

 

発見すべきものは数多く、余りあるが、しかし私たちは社会の抱える問題に目をつぶってはならない。学ぶとはつまり、社会が現実に必要としているものに出会うことだ。近年、私は共同体構築とソーシャルワーク、農業を勉強するために仏教と宗教哲学の勉強を減らした。以前はこれらの科目にほとんど興味がなかったが、これらがどれだけ影響力をもち、重要なのかを知った今、これらの研究を楽しんでいる。

 

しかしながら、単なる知識は、抽象的であり過ぎるから、注意しなくてはならない。現実に触れ続け、学んだすべてを確かめ、実体験に基づくものだけを取り入れなさい。

 

自分の先生を超えることを不可能だと思ってはならない。自分がかつて学んだことにとらわれてはならない。それは新しいアイデアや洞察を認め、受け入れることを阻むからだ。

 

 

 愛は必要不可欠だ。愛だけが、それがどんな形をとろうとも、健全で真実である限り、孤独という壁を打開できるのだ。

 

私たちのほとんどにとって、愛を教わる最初の人物は母親だ。生まれたばかりの私たちは余りにも小さく、弱く、自分自身を守ることすらできない。必要があれば泣くだけで天使のようにそばに母親が現れてくれたのだ。そうしてやっと私たちは満足し、幸せになったのだ。愛とはいつでも必要性や、欠失、苦しみへの対処だ。

 

君が独り立ちしていくにつれ、母親や父親をだんだんと必要としなくなっていった。そのために君の両親への愛は薄れたのかもしれない。でも両親と君の間に流れる愛は、いまだに生きていて君自身の奥深くにある。君はただそれに立ち返って、その関係性がよみがえるままにすればいいのだ。

 

ここで君に恋愛について話をしてもいいだろうか。君はいったい僧侶が何にもとづいて恋愛について話そうとしているのか、疑問に思うかもしれない。だが、私にはまだ私自身の物事の展望があり、君とそれを分かち合うことができれば嬉しい。君の年齢なら、恋愛に強く心惹かれ、そのほかの天命は簡単に覆い隠されてしまうだろう。だがそれは覆い隠されはしても、沈黙したわけではない。

 

愛には偉大な力がある。愛とは、君が待つことができ、認めることができ、歓迎することができ、共にあることができ、守ることができ、育むことができ、そして采配することができるなら、深い傷を癒し、大願を成就できるよう助けてくれるものなのだ。もちろん君は困難と悲しみにぶつかるだろう。けれども心配しなくていい。愛することがもっと上達するよう、経験から学びなさい。

 

苦悩に満ちた険悪な恋愛関係はとても破滅的だ。もし君が人生を愛し、熱意と勇気、強さと献身で満たされるよう助けられているのなら、それは建設的な関係だと分かる。ふさわしい相手を見つけることは簡単ではない。外見的な美しさや才能、評判のよさが、充実した関係を保証すると思うな。相手を理解するよう努めなさい―――その人の人格、嗜好、願望、そして人生のビジョンを。そして自分に合うかどうか自問しなさい。合うかどうかは自分と似ているか否かではない。それよりも、互いに対立せず、互いが補完的かどうかを意味している。知性の高い恋人たちは、自分自身と相手の深い願望を調和させることをわきまえている。相性の良いパートナーとそんな風に愛し合えることは大きな幸せだ。自分自身でそのことを頻繁に思い出し、相手と共にいることが自分にとってどれだけ幸運か、相手に伝えなさい。これを心得ていれば、相手との関係を大切にすることができ、不用意さによって関係が壊れることを防げるだろう。落胆や嫉妬の瞬間は避けることはできない。だが、落ち着いていなさい。何事も焦って行ってはならず、大げさに誇張してはならないのだ。

 

恋愛は人間の肉体と精神の自然な求めに呼応するものだ。恋愛を二人の人間の間の単なる好都合の取り決めだととらえる人もいるが、それは広大な愛へと至る入口ともなり得るものだ。愛とは、すべてのものと同じく、それは生まれ、一時の間保たれ、そして過ぎ去っていく。ちょうど君の庭にある美しい木と同じように、君の愛が長い間元気でいるためには、いたわりと保護を必要とするのだ。最後に、愛とはただ優しさだけではない。愛とはまた忍耐と勇気、犠牲なのだ。愛は人間には必要不可欠であり、だからこそ君は愛さずにはいられないのだ。

 

 

精神性・スピリチュアリティ

 宗教の目指すものは繫がりだ。真の宗教は決して分断しない。

宗教とは、大多数の人にとっては、家族や社会から受け継いだ、単なる通りいっぺんの習慣や儀式に過ぎない。多くの人々が惰性や興味のなさから、自分自身の宗教の浅はかな理解で満足している。教えの真実を自分自身の経験と照らして確かめてみることもしないばかりか、教えを通して自分自身を向上したり、癒したりすることすら実践しないままだ。こうした人々は独断主義的だったり、不寛容だったりしがちだ。

 

もし宗教を信仰するなら、こうした人々のようになるな。自分の精神性の人生を養うことができるように、自分の宗教のあらゆる深さと美しさについて、理知的に学びなさい。健全な宗教とは生きた宗教だ。それは時代の困難に対応できるよう進化していくべきものだ。

 

他の宗教の仲間たちと出会いなさい。互いに心を開いて協力し合いなさい。自分の集団の権力と影響力を増すためではなく、人のために尽くすという純粋な意思をもって取り組みなさい。

 

宗教は人間のために尽くすべきものにほかならず、宗教のために人間があるのではない。宗教のために誰一人として苦しんだり、命を落とすことを見過ごしてはならない。宗教の共同体は未だに重い空気に満ちている。私たちには若者のオープンさ、想像力、巧さが必要なのだ。

 

 

終わりに

 ここまで私にお付き合い頂き、ありがとう。君との対話の中で、私は何らかの権威や、権威者の誰かを売り込んだりはしていない。私は、私たちが自分自身とその周囲の人々をまっすぐ見つめるために自分の能力を生かすよう、望んでいる。君に、人類共通の愛と理解の必要性について、私の考えを分かち合った。

 

君に怖れと孤立を乗り越えさせるものは、愛だ。人類と生命、宇宙の中心へと君を導くものは、理解だ。理解と愛が、社会とこの惑星の現在の状況に君自身を開かせ、君自身の選択へと導くだろう。

 

 さぁ、君のカバンの荷造りは終わった。旅立ちの時だ。

 

 

 

 

※投稿元:Wake Up International “Thich Nhat Hanh’s Message to the Youth” https://wkup.org/thich-nhat-hanh-message-youth/

 

 

日本語訳:Kanako _()_

 

1966年のティク・ナット・ハン

Photo: Plum Village