自分の苦しみの理解が

慈悲を生み出す

私たちの苦しみは、世界の苦しみを反映しています。差別や搾取、貧困や恐怖は、私たちを取り巻く人々に多くの苦しみをもたらします。私たち自身の苦しみはまた、別の人々の苦しみも反映しているのです。

 

もし私たちが世の中の苦しみを和らげたいとの強い願いに突き動かされていたとしても、私たち自身に苦しみの本質が理解できなかったら、どうしてそれができるでしょうか。

 

私たちが自分自身の苦しみを理解できれば、他の人々の苦しみや、世の中の苦しみを理解することはずっと容易になります。

 

たとえ私たちに、世の中の苦しみを和らげるために何かしたい、あるいはそれを助ける何者かになりたいとの意思があっても、私たち自身が自分の苦しみを意識的に聞き、その苦しみを認めて受け入れるようになるまでは、私たちは本当の意味での助けにはなれないのです。

 

私たち自身とその周囲には、気が遠くなるほどの量の苦しみがあります。通常、私たちは苦しみに触れることは不快だと思い込んで触れたがらないのです。

 

市場は私たちが想像しうる限りのあらゆるものを提供し、私たちに自分自身から逃げることを助長します。… 私たちは必要性からではなく、自分の内側にある苦しみに直面することを恐れて消費するのです。

 

でも、苦しみに打ちのめされることなく、その苦しみに触れて理解する方法があります。私たちはなんとか苦しみを避けようとしますが、苦しみとは有用であり、私たちに必要なものなのです。

 

自分自身の苦しみへと向き直り、その苦しみを聞きとり、理解することは、私たちに慈悲心と愛の生起をもたらします。自分自身の苦しみに深く耳を傾ける時間を持つことで、私たちはその苦しみを理解できるようになるのです。

 

解消されず、鎮められることのなかった苦しみはどんなものであれ、継続していきます。その苦しみを理解し、それが変化を遂げるまで、私たちは自分自身だけでなく、親や先祖の苦しみをも抱えていくのです。私たちへと引き継がれた苦しみに気づいて理解することは、私たち自身の苦しみの理解に役立ちます。

 

苦しみの理解とは慈悲心を呼び覚まします。愛が生まれると、その途端に苦しみは和らぐのです。

 

自分自身の苦しみの本質とその起源が理解できれば、私たちの目の前には、その苦しみの終わりへと続く道が立ち現れます。脱出口となるその道筋を心得ていれば、私たちは安心することができ、もう恐れる必要はなくなるのです。

 

ーティク・ナット・ハン